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2009/02/13 (Fri) 日本語を書く部屋(リービ英雄)

多和田葉子と同じ越境者にリービ英雄がいる。「翻訳」というものを考える上で、彼の指摘は実に貴重なのではないだろうか。

以下は読んだ感想。



日本人であればまずその書名に違和感を抱くだろう。日本人は「日本語を書く」とは言わないから。

1950年にアメリカで生まれた著者リービ英雄は、少年時代を台湾、香港で過ごし、1967年に日本に移り住んだ。その後、日本とアメリカを行ったり来たりしながらアメリカの大学で日本文学の教授を務める。40歳直前にして大学の教授職を辞し、東京に定住、新宿の外れにある木造二階屋の二階に「日本語を書く部屋」を持つに至る。

西洋人が日本に定住し「日本語」で小説を書くと言うことがどういうことなのかが「越境」という言葉をキーワードにして赤裸々に語られている。例えば日本語で書く理由についてこう書いている。

日本語は美しいから、ぼくも日本語で書きたくなった。十代の終わりごろ、言語学者がいうバイリンガルになるには遅すぎたが、母国語がその感性を独占支配しきった「社会人」以前の状態で、はじめて耳に入った日本語の声と、目に触れた仮名混じりの文字群は、特に美しかった。しかし、実際の作品を書くとき、西洋から日本に渡り、文化の「内部」への潜戸としてのことばに入りこむ、いわゆる「越境」の内容を、もし英語で書いたならば、それは日本語の小説の英訳にすぎない。だから最初から原作を書いたほうがいい、という理由が大きかった。



昨今の場当たり的で、一面的な「日本語ブーム」にも一石を投じる内容となっている(もちろん書いた当時はそんなことを考えてもいなかっただろうけど)。

さらに正確を期していえば、越境は、ある文化の外部にいる者にだけ起こるのではない。日本人として生まれた人でも、日本語を書くためには、一度、「外国人」にならなければだめなのだ。「当たり前な日本語」の「外」に立って、自分の言葉に異邦人として対する意識を持たなければよい作品は生まれない。



この引用は「小説」に対する言及であり、このあとに「一流と呼ばれる日本の作家なら誰もが感じている今日的な表現の問題である。」と続くのだが、「日本語ブーム」に乗っかった凡百の指南本の記述よりもよほど胸に響くのではないだろうか。



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