翻訳にまつわるアレコレ//翻訳にまつわる雑多な情報など・・
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2009/02/27 (Fri) 春樹をめぐる冒険― A Wild Haruki Chase(その2)

前回からの続き。いよいよ実際の講演へ。




基調講演
リチャード・パワーズ(作家、米国)
「ハルキ・ムラカミ-世界共有-自己鏡像化-地下活用-ニューロサイエンス流-魂 シェアリング計画」
案内人:柴田元幸(東京大学教授)
コメンテーター:梁 秉鈞(香港)



冒頭で柴田元幸がカフカ賞のことに触れて、そこで拍手があった(村上春樹がフランツ・カフカ賞を受賞したのだ)。リチャード・パワーズの基調講演は難しすぎた。なんで、ニューロ・サイエンス(脳神経科学)が出てくるんだろう。リチャード・パワーズはあらかじめ作成した原稿を読み上げている。同時通訳も同時通訳するのではなく、おそらくはあらかじめ翻訳したものを読み上げているだけだ。それなら同時通訳するのではなく、英和対訳になった原稿を最初からみんなに配ればいいじゃないかと思ったのだが、そうしなかった理由は最後に分かった。
質疑応答の時にドイツ人の翻訳家がパワーズに対して質問した。「あなたが使った "Murakamiesque" はあなたの造語ですか? "kafkaesque" は有名だけど、"Murakamiesque" は聞いたことがない」これに対して、パワーズは、"Murakamiesque" という言葉は何かで見たと答えていた。そしてひょっとして早いうちに特許を取った方がいいかな、なんて冗談も言っていた。ちなみに "Murakamiesque" をGoogleで検索すると75件のヒットがあった。これから村上春樹が世界的に有名になるにつれて、"Murakamiesque" という言葉ももっと使われるようになるかもしれない。(ちなみに、2009/2/27現在では102,000件になっている。)

パネル・ディスカッション
翻訳者が語る、村上春樹の魅力とそれぞれの読まれ方
案内人:藤井省三(東京大学教授)
パネリスト:Corinne Atlan(フランス)、金 春美(韓国)、Dmitry Kovalenin(ロシア)、頼 明珠(台湾)、Jay Rubin(米国)


とりあえず最初に一人5分くらいずつ話してくださいと案内人が言うのだが、最初の人から既に時間をオーバーし、放っておけば最後まで一人でしゃべってしまいそうな勢いである。その後もみんなの話が長くなりがちなので、案内人はかなり苦労していた。印象に残った発言をいくつか拾ってみる。
金 春美:翻訳するときには原文のリズムを大切にしたいので、まず原文を音読した物を録音して、それを聴きながら翻訳している。
頼 明珠:カタカナ語を中国語に翻訳するのは難しい。特に人名がカタカナの場合(多いね。村上春樹は)、勝手に漢字を当てるわけにもいかない。
Corinne Atlan:フランス語の一人称代名詞は一種類しかないので、「僕」「私」「俺」を訳し分けることができずに悩んだ。
Dmitry Kovalenin:『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の「やみくろ」をどう訳すか悩んだ。村上春樹本人に会ったときに「"ワンダーランド" というのはルイス・キャロルの "Alice in Wonderland" に通ずるものがあると思うので、アリスに出てくるキャラクターをもじった名前にするのはどうでしょう?」と訊いたら、「いいんじゃないの。トライしてみて」と言われた。そこで、「闇」とか「黒」に関係のない名前に翻訳することにした。
Jay Rubin:私の場合は、カタカナ語を翻訳するのが一番楽だった(笑)。翻訳自体は比較的スラスラできるのだが、原文の持つ「独特のバタ臭さ」が再現できずに苦労した。

ここで休憩20分。人や機材が多いからか、教室内は結構暑いので、ちょっと遠いけど生協まで行って飲み物を買ってきた。

(続く)

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2009/02/25 (Wed) 春樹をめぐる冒険― A Wild Haruki Chase(その1)

『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』の感想の中で言及したが、私は2006年3月に東京大学で行われた「春樹をめぐる冒険― A Wild Haruki Chase」と題された村上春樹シンポジウムに参加する機会を得た。
JTF翻訳祭に引き続き、ちょっと古い話題で恐縮だが、その時の模様を振り返ってみたい。長いので3回に分ける。なお、人物の肩書きは全て当時のもの。ところどころ現時点での感想も挟み込んである。



というわけで、村上春樹シンポジウムに行ってきました。もう最初に書いてしまうけど、村上春樹本人が登場するというサプライズはなかった。残念。
シンポジウム開始が13時からで、受付は12:15から。渋谷で昼飯を食べてから行こうかと思ったが、朝飯を食べたのが出掛ける直前だったので、渋谷に着いても腹が減っていない。そこでそのまま東大まで行ってしまうことにした。東大の駒場キャンパスについては、このサイトで予習しておいた。それによると、構内にルヴェソンヴェール駒場というフレンチレストランがある。そこで食べようと思ったのだ。ところがなんと結婚式を行うために貸し切りになってしまっていたのだ。これは完全に意表を突かれた。仕方がないから学食へ向かうが、学食もやっていない。結局生協でサンドイッチとコーヒーを買って、ベンチで食べた。構内にはあちこちにサークルの立て看があって、なぜか沢山テントが張ってある。これは新入生歓迎のときのための場所取りなんだろうか。構内の桜は四分咲きくらい。散歩するにはちょうどいい陽気だった。
12:20頃に受付に行くと、テレビカメラが入っていたり、関係者が大勢いたりで、結構物々しい感じだった。中に入って座ろうとすると、前から半分くらいが招待席になってしまっている。900番教室というなかなか趣のある建物なのだが、思っていたよりも広くない。座席はひな壇になっているのかと思ったが、そうでもなかった。座席の幅は非常に狭い(左右も前後も)。一度奥に座ってしまったら、通路側の人に全員出てもらわない限り外には出られない。一応招待席以外での一番前の席に座ることはできた。机の上には同時通訳用のレシーバーがあり、右手には同時通訳用のブースがあった。

前置きが長くなった。ここからは実際のシンポジウムを振り返ろう。

(続く)

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2009/02/23 (Mon) ハルキ・ムラカミと言葉の音楽(著:ジェイ・ルービン 翻訳:畔柳和代)

前回の村上春樹とジェイ・ルービンの話つながりで今回はこの本のご紹介。村上春樹ファンならば必携の一冊と言っていいだろう。

以下は読んだ感想。



「・・言葉の音楽」というタイトルを見たときには、村上作品中に出てくる音楽にだけ焦点を当てた一面的な評論なのだと思っていた。それならば、値段も高いし図書館で借りればいいかなと思い、図書館で借りて読み始めた。読んでみて驚いた。一面的どころか、総合的で本格的な村上春樹論だったのだ。分厚くてなかなか進まないのと、これは手元に置いておく必要があると分かったので、すかさず購入して、図書館に返した後は購入した本で読み継いだ。

本書でジェイ・ルービンは、村上春樹の生い立ちから書き起こし、デビュー作である『風の歌を聴け』の解説以降、ほぼ作品の発表順に解説していっている。中には相当の村上ファンでも知りえなかったようなトリビアルな情報も含まれている(私は、村上春樹の奥さんの旧姓や奥さんのお父さんの職業をこの本を読むまで知らなかった)。巻末の膨大な「注」の中には「私信」と記されているものもあり、ジェイ・ルービンと村上春樹の親交あってこその情報も多い。

巻頭で「はじめから認めておこう。私は村上春樹ファンだ。」と公言して憚らないジェイ・ルービンだが、すべての作品を手放しで賞賛しているわけではない。例えば、『スプートニクの恋人』に関してはこう書いている。

『スプートニクの恋人』中最悪のくだりのひとつでKはこう思う。「すみれはあちら側に行ったのだ。それでいろんなことの説明はつく」。ごもっとも。私の眼鏡は書斎の机の上にあったのに、いつのまにか食堂のテーブルまで移動しているとき、いたずら好きな架空のグレムリンが実在すれば説明がつくのと同じ程度に、もっともな話だ。「あちら側」とKの遭遇に切迫感と説得力を与えるべく村上は丘の頂から聞こえる音楽の音量を上げ、Kとミュウとの(たとえ一時的でも)深い絆を「説明」しようと大げさな感傷的な文章を山盛りにしているが、かつてのクールな村上ファンには『スプートニクの恋人』の最後の五十ページは読みづらいかもしれない。



今や村上春樹が全世界で読まれていることは、わざわざ私が書かずとも広く知られている。しかし、村上春樹の作品は、日本人こそが一番深く理解できると私は思っていた。2006年3月に東京大学で行われた「春樹をめぐる冒険― A Wild Haruki Chase」と題された村上春樹シンポジウムに、私は幸運にも参加する機会を得た。そのシンポジウムでは、各国の村上春樹の翻訳者(ジェイ・ルービンも含む)が村上春樹の魅力について熱く語ってくれた。そのシンポジウムを経てもなお、私は日本人の読みが一番深いと思っていた。そんな私に冷や水を浴びせるような文章が本書には載っている。実際にはジェイ・ルービンが書いた文章ではなく、ホームページ上での質問に回答する村上春樹の文章なのであるが。ちょっと長いが引用する。

次の質問は、三十歳の「大学院卒業生(つまり無職)」から寄せられた。彼のアメリカ人の妻は大学院でアジア文学を研究している。夫妻の友人に、アメリカ文学を研究している日本人がいて、彼は妻に「(日本の文学については)やっぱり日本人のほうがたとえ素人でも、(外国人より)文学の読みが深いに決まっている」と言ってばかりいる。言われるたびにアメリカ人の妻は怒っているが、「春樹さん」はどう思われるか知りたいという。
村上は以下のように答えた。

あなたのお友だちは、やはりものごとを過度に単純化していると、僕は思います。「単細胞のファシストだ」とまでは言いませんが。

僕はアメリカ人の学生たちと日本文学についてずいぶんディスカスしました。たしかに中にはとんでもねえことを抜かす奴もいます。でも中にはものすごく鋭く、新鮮な、本質を突いた意見を聞かせてくれる人もいます。日本人の中には「微妙なニュアンス、独特の言い回し」はある程度分かるけど、文学というものがぜんぜんわかっていないんじゃないかという人たちはたくさんいます。

文学というのは85パーセントまで、心持ちと志の世界なのです。それは人種や言語やジェンダーの差異を超えたものです。それらは基本的に相互交換的なものです。「アメリカ人なんかに日本文学の良さがわかるもんか」というのは、コンプレックスの裏返しであるような気がします。日本文学はもっともっと広く、外界からの検証を受けるべきであると僕は信じています。



ジェイ・ルービン同様村上ファンである私は今までに何冊もいわゆる「村上本」を読んできた。中には村上春樹の作品中に出てくる料理を取り上げたレシピ本なんてものもあったし、ゲームの攻略本のように村上作品を解き明かそうとしている本もあった。なぜそうなるのか分からないが、過度に難解な本もあった。本書はそれらの本とは完全に一線を画している。『風の歌を聴け』から『東京奇譚集』まで、トータルに村上作品を論じ、しかも読んでいて最高に面白い。現在ある村上春樹の評論の中でも最も優れたものの一つであることは間違いないだろう。

日本人こそが一番深く村上作品を理解できるという私の持論をジェイ・ルービンは鮮やかに覆してくれた。日本人以外にこんなにも深く村上作品を読み込んでいる人がいるということは驚きでもあり喜びでもあった。冒頭でジェイ・ルービンはこう書いている。

私の主たる目的は、私が村上の長篇や短篇を読み、翻訳し、作品が書かれた経緯を知るなかで味わった興奮をみなさんと分かちあうことだ。もしも私が楽しみすぎているように見えたら、どうぞご寛恕を。



こちらこそ楽しませてもらったとジェイ・ルービンにはお礼を言いたい。最後になってしまったが、畔柳和代の翻訳も素晴らしかった。

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2009/02/20 (Fri) 翻訳教室(柴田元幸)

柴田元幸つながりでこの本のご紹介。「BRUTUS (ブルータス)」の2009年 2/1号でもスチュアート・ダイベックを招いた授業の模様が紹介されていた。羨ましい限り。

以下は読んだ感想。



知的興奮を味わえる書物というものが稀にある。私にとっては、『俳句という愉しみ』(小林恭二)とか『乱視読者の新冒険』(若島正)とかがそれに当たる。『翻訳教室』もそういった種類の本だ。

本書は東大文学部の翻訳演習が完全収録されている。扱われている題材は、スチュアート・ダイベック「故郷」からレベッカ・ブラウン「天国」までの9篇。中にはジェイ・ルービンが英訳した「かえるくん、東京を救う」(訳題は"Super-Frog Saves Tokyo")を和訳するという捻った回もある。

とにかく、よくぞ文字に起こしたねと感心したくなるほど、臨場感たっぷりに授業内容が再現されている。そしてまたみんな細かいことにこだわるんだな(いい意味でね)。まあ、先生である柴田元幸が一番こだわってるんだけど。

それから、これは僕個人が病的にこだわることなんだけど、語尾ね。翻訳をしてゲラを読んで、もう一度ゲラを読んで――要するにもうすぐ印刷ってとき――最後の手直しをしますね。そのときになっても語尾ばかりさんざんいじってます。「行き」にするか、「行って」にするか、とか。



実践的なテクニックも沢山出てくるので、翻訳家を志望している人や既に翻訳をしている人にもかなり参考になるんじゃないかな。

・「hurt」は「傷つける」ではなく、自動詞なら「痛い」、他動詞なら「痛くさせる」が基本。

・「and」は「しかし」と訳すとしっくりいくことが多い。

・「never」を「決して」と訳すことは実はほとんどない。



「かえるくん、東京を救う」の回では英訳をしたジェイ・ルービンがゲストで授業に参加してこう言っている。 

とにかく、翻訳とは科学的なものじゃない。どうしても主観が入る。それが入らないと、人間のやる作業じゃない。客観的に、何の感情も入れないで訳しても、ある言葉の文法をもう一つの言葉の文法に移すだけで、無茶苦茶になってしまう。個人の解釈が入らないことには、何も伝わってこないと思います。



そしてなんとその次の回には村上春樹本人が登場し、学生たちの質問に答えてくれている(羨ましい)。村上春樹ファンであれば、この章を読むためだけでもこの本を買う価値があるかもしれない。村上春樹がデビュー作の『風の歌を聴け』を最初に英語で書いてから日本語に訳したというのは有名な話だ。今までは、既成の文体を脱するためというふうに説明されていたが、実はそうではなくて別の理由があるのだ。その衝撃の事実(?)が本書では明らかにされている。これは読んでのお楽しみ。

かなりマニアックな本なので、単に英米文学が好きだからという人にはちょっと辛いかもしれない。逆に、翻訳が好きな人にとってはこんなに面白い本はない。あー、大学時代にこんな授業を受けたかった!


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2009/02/18 (Wed) 村上春樹ハイブ・リット 村上春樹(編・訳)、柴田元幸ハイブ・リット 柴田元幸(編・訳)

もっと早く紹介しようと思っていたのだが、ずいぶん後回しになってしまった。村上春樹柴田元幸ファンには堪らない英語学習教材が発売されている。

これがなかなか良さそうなのだ。見開き対応になっていて、左ページが英語で右ページが日本語(村上春樹柴田元幸による翻訳)になっている。英語のページの脚注部分にはイディオム等の解説もある。英語だけを通して読んでから日本語を読むっていう方法もあるし、じっくり見比べながら読むっていう方法もある。CDも付いているので、朗読を聴きながら英文を読んだり、慣れてきたら朗読だけを聴いて意味を取れるようにするという勉強の仕方もある。
村上春樹版だとナレーターによる朗読もあるが、柴田元幸版では収録作品の朗読は全て作家自身が行っている。そう考えると柴田元幸版の方がちょっとだけお得かもしれない。

村上春樹版 収録作品:
レイニー河で/ティム・オブライエン(朗読:ティム・オブライエン)
ささやかだけれど、役に立つこと/レイモンド・カーヴァー(朗読:グレッグ・デール)
レーダーホーゼン/村上春樹(朗読:ジャック・マルジ)

柴田元幸版 収録作品:※朗読はすべて作者
ハッピー・バースデイ/バリー・ユアグロー
私たちがやったこと/レベッカ・ブラウン
大いなる離婚/ケリー・リンク
ペット・ミルク/スチュアート・ダイベック
雪人間/スティーヴン・ミルハウザー
オーギー・レンのクリスマス・ストーリー/ポール・オースター

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2009/02/16 (Mon) 翻訳とは何か 職業としての翻訳(山岡洋一)

ちょっと古い本のご紹介。お堅い感じの本だが、翻訳の世界に身を置くものとして興味深く読んだ。

以下は読んだ感想。



第1章は同じヘーゲルの哲学書を翻訳した金子武蔵と長谷川宏の訳を比べながら翻訳とは何かを探っていく。「he」を常に「彼」と訳し「she」を常に「彼女」と訳して安心しているのは英文和訳であり、翻訳ではないと斬り捨てる。

第2章では歴史の中の翻訳家として、三蔵法師や村田蔵六(のちの大村益次郎)などを取り上げている。村田蔵六に関しては主に司馬遼太郎の『花神』からその業績を辿っており、「職業として翻訳を目指すものにとって、類書がほとんどないと思えるほど貴重な小説だ」と褒めちぎっている。

その後の章では、翻訳の技術や市場、翻訳者への道などを論じている。但し、主に著者の念頭にあるのは外国語から日本語への出版翻訳である。だから翻訳の技術の話では日本語を書く技術がいかに重要かを切々と説いている。翻訳には日本語から外国語へのものもあるわけだが、これに関しては、例えば日本語から英語であれば英語のネイティブ・スピーカーが行うべきもので、日本人がするべきものではないとハナから相手にしていない。

後半は翻訳業界がいかに歪んでいるかと、業界への苦言に終始している。翻訳者の収入が少なすぎる話、甘い幻想を抱いて翻訳学校に通う人間がいかに多いかという話、そしてそういう人間から甘い汁を吸い続ける翻訳教育産業の話、自宅で出来るから翻訳をしたいというのが実は誤った認識であるという話、翻訳というのは分業には適していないので、下訳者を使ったりするのは逆に効率が悪くなるという話、などなどである。

著者は「翻訳」というものを一面からしか捉えていない(もちろん全ての面から捉えるのは不可能な話だが…)。例えば「翻訳とは、書く作業の全体に対して責任を負う仕事だ。だからこそ、魅力のある仕事なのだ。」と書いているが、産業翻訳の世界では一人が全体を翻訳する方が稀である。まず間違いなく複数の人間で分担して翻訳する。そうしないと納期に間に合わないからだ。

翻訳とは主に外国のすぐれた知識を学び、自国に伝えるものである。それゆえ翻訳というものは生涯を捧げる価値のある職業である。一方で翻訳とは地味で辛く報われることの少ない仕事でもある。翻訳家は自分の担当する翻訳については全責任を負う姿勢が不可欠であり、英語がちょっと得意だからというレベルの人間が簡単になれるものではない。

というのが本書の結論であるが、「私はそれ相応の環境も整え、翻訳を生涯の職業と見定めており、優れた翻訳を生み出しているのだから、もう少し報酬が良くてもいいはずだ。英文和訳レベルの翻訳本がベストセラーになるのは納得がいかないし、翻訳学習者が非常に安い単価で翻訳を請け負い、業界全体の単価が下がってしまうことにはもう耐えられない。」という著者の裏の声が聞こえてこなくもない。


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2009/02/13 (Fri) 日本語を書く部屋(リービ英雄)

多和田葉子と同じ越境者にリービ英雄がいる。「翻訳」というものを考える上で、彼の指摘は実に貴重なのではないだろうか。

以下は読んだ感想。



日本人であればまずその書名に違和感を抱くだろう。日本人は「日本語を書く」とは言わないから。

1950年にアメリカで生まれた著者リービ英雄は、少年時代を台湾、香港で過ごし、1967年に日本に移り住んだ。その後、日本とアメリカを行ったり来たりしながらアメリカの大学で日本文学の教授を務める。40歳直前にして大学の教授職を辞し、東京に定住、新宿の外れにある木造二階屋の二階に「日本語を書く部屋」を持つに至る。

西洋人が日本に定住し「日本語」で小説を書くと言うことがどういうことなのかが「越境」という言葉をキーワードにして赤裸々に語られている。例えば日本語で書く理由についてこう書いている。

日本語は美しいから、ぼくも日本語で書きたくなった。十代の終わりごろ、言語学者がいうバイリンガルになるには遅すぎたが、母国語がその感性を独占支配しきった「社会人」以前の状態で、はじめて耳に入った日本語の声と、目に触れた仮名混じりの文字群は、特に美しかった。しかし、実際の作品を書くとき、西洋から日本に渡り、文化の「内部」への潜戸としてのことばに入りこむ、いわゆる「越境」の内容を、もし英語で書いたならば、それは日本語の小説の英訳にすぎない。だから最初から原作を書いたほうがいい、という理由が大きかった。



昨今の場当たり的で、一面的な「日本語ブーム」にも一石を投じる内容となっている(もちろん書いた当時はそんなことを考えてもいなかっただろうけど)。

さらに正確を期していえば、越境は、ある文化の外部にいる者にだけ起こるのではない。日本人として生まれた人でも、日本語を書くためには、一度、「外国人」にならなければだめなのだ。「当たり前な日本語」の「外」に立って、自分の言葉に異邦人として対する意識を持たなければよい作品は生まれない。



この引用は「小説」に対する言及であり、このあとに「一流と呼ばれる日本の作家なら誰もが感じている今日的な表現の問題である。」と続くのだが、「日本語ブーム」に乗っかった凡百の指南本の記述よりもよほど胸に響くのではないだろうか。



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2009/02/10 (Tue) エクソフォニー 母語の外へ出る旅(多和田葉子)

英語圏出身ではない作家が英語で書いている小説を何冊か紹介したが、多和田葉子は日本人でありながらドイツ語でも小説を書いている。
下記の感想で引用した部分の一部「日本語でものを書いている限り、タブーに触れないようにする機能が自動的に働いてしまう。それが、他の言語を使っていると、タブー排斥機能が働かなくなって、普段は考えてもみなかったはずのことを大胆に表現してしまったり、忘れていた幼年時代の記憶が急に蘇ってきたりもする」という指摘は実に興味深い。紹介してきたジュンパ・ラヒリ、ラッタウット・ラープチャルーンサップ、イーユン・リー、楊逸、C・N・アディーチェらにも執筆時に同様のことが起きていたのかもしれない。そんなことを考えながら読んでみるのも一興だろう。

以下は読んだ時の感想。



『翻訳家の仕事』を読んで興味を持った多和田葉子の本を図書館で借りてみた。「エクソフォニー」とはドイツ語で母語の外に出た状態一般を指す言葉らしい。多和田葉子は日本語とドイツ語で小説を書き、講演やら何やらで世界中を飛び回っている。

本書は二部構成になっており、第一部「母語の外へ出る旅」は書き下ろしで、世界各地で感じたことをエッセイにまとめている。第二部は「実践編 ドイツ語の冒険」で、『テレビ ドイツ語会話』に連載されたものが元になっている。

最初はちょっと取っつきにくくて、どうせ図書館で借りた本だし、斜めに読んでおけばいいかなんて思ったのだが、斜めに読んでいるうちにハマってしまった。そもそも母語以外の言語で小説等を書いている人の話なんてあまり読んだことがないからな(他にはリービ英雄くらいか)。言葉に対する独特の視点が垣間見られて非常に刺激的だった。

第二部はドイツ語が分かる人やドイツ語を勉強している人の方が読んでいて面白いだろうけど、そうではない私にとっても十分に興味深かった。「言葉を綴る」という回のなかで、アメリカの大学でドイツ語を学んでいる学生たちにドイツ語で作文する課題を出したときに、むしろ母語では恥ずかしくて書けなかったようなことが外国語では書けるようになる学生がいたという。

外国語を学ぶということは、新しい自分を作ること、未知の自分を発見することでもある。わたしたちは日本語を通して世の中の仕組みを学び、人との付き合い方を学び、大人になってきたわけだから、こういうことは考えてはいけないとか口にしてはいけないというタブーが頭の中に日本語と一緒にプログラミングされている。つまり、日本語でものを書いている限り、タブーに触れないようにする機能が自動的に働いてしまう。それが、他の言語を使っていると、タブー排斥機能が働かなくなって、普段は考えてもみなかったはずのことを大胆に表現してしまったり、忘れていた幼年時代の記憶が急に蘇ってきたりもする。



多和田葉子」という名前が本名なのかペンネームなのかは知らないが、「ことの葉が多い子」という名前は日本語とドイツ語を操る著者にはピッタリの名前だな。



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2009/02/09 (Mon) 翻訳家の仕事(岩波書店編集部編)

話がちょっと前後するが、『翻訳文学ブックカフェ』と似たような本に本書がある。ただ、こちらはインタビューではなくて翻訳家自身によるエッセイ集だ。両方に登場する翻訳家も結構いる。

以下は読んだ時の感想。



帯には「当代きっての名訳者37人が勢揃い! 翻訳エッセイの決定版」とある。「当代きって」かどうかはともかくとして、若島正池内紀柴田元幸青山南高見浩・・など有名な翻訳者がずらりと並んでいるのは確かだ。但し、翻訳がうまいのとエッセイがうまいのとは別物だ。柴田元幸青山南鴻巣友季子岸本佐知子なんかはさすがに読ませるけど、あんまりまじめに書かれちゃっても読むのが辛いんですけど、っていう人も何人かいたね。そんな中、アメリカでの暮らしで自閉症になってしまった10歳の娘との交流に翻訳が役に立ったという伊藤比呂美のエッセイは秀逸だった。ただの「翻訳よもやま話」ではなく、完全に一編のエッセイになっていた。

多和田葉子という作家のことを知ったのも大きな収穫だった。日本語とドイツ語で作品を書いている「越境者」である多和田葉子の視点は、普段われわれがなかなか持ち得ないものだ。多和田は「基本的には、あらゆる翻訳は「誤訳」であり、あらゆる読解は「誤読」なのかもしれない」と書いている。だから「<間違っている><正しい>という二極に分けて考えることはできない」と。そして、翻訳家に対してこうエールを送っている。

文学作品の翻訳では、どんなに努力しても欠落してしまう要素がたくさんあり、それでもがっかりしないで、辛抱強く、存在しないかもしれない言葉を探し続ける努力は大変なものでしょう。誉められることは少なく、批判はされやすい翻訳家という職業に敬意を感じます。

でもだからこそ、訳者はディフェンシヴにだけ訳すのではなく、オフェンシヴに仕事をしてほしいとも思います。「原作者の言語ではこういうことはできないけれど、わたしの言語ではこういうことができるんだぞ」とか、「作者は自分では気がついていなかったみたいだけれど、この作品にはこういう隠された面白さもあるんだよ」ということを積極的に探していく態度も翻訳家には必要な気がします。



オフェンシヴに翻訳するっていうのはいい言葉だよね。勇気づけられる翻訳家も多いのではないだろうか。



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2009/02/04 (Wed) アメリカにいる、きみ(著:C・N・アディーチェ 翻訳:くぼたのぞみ)

最年少でオレンジ賞を受賞したアフリカ出身の女性作家による、O・ヘンリー賞受賞作を含む傑作短編集。

以下は読んだ時の感想。



ジュンパ・ラヒリ、ラッタウット・ラープチャルーンサップ、イーユン・リー、楊逸、そしてC・N・アディーチェ。みな母国語ではない言語で小説を書き、そして認められている作家たちである。

異国へ渡って生活するということは、文化の違いもあるだろうし色々な摩擦も生じるだろう。その辺のことを書き記すだけで、私のような平凡な人生を送っている人間には、読むに値する物語になる。逆に言えば、そのような普通ではない体験をした人はそれだけで一編の小説をものすることができるわけで(もちろんその他の才能も必要だが)、ちょっとずるいなという気がしないでもない。

しかし、上述の作家たちはさすがに認められているだけあって、特異な体験をただ綴っているだけではない。そこには鋭い観察眼があり、文学的な感性が宿っている。

本書も例外ではない。ナイジェリアとアメリカの文化の違いもさることながら、ナイジェリアでの民族紛争という重いテーマをも扱っている。しかし、それらの悲劇的なテーマを扱っていても、単に悲劇的に書くのではなく、文学として昇華させるだけの才能がある。

冒頭の2作品、「アメリカにいる、きみ」と「アメリカ大使館」が特に印象深い。(2008/8/21)



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2009/02/02 (Mon) 千年の祈り(著:イーユン・リー 翻訳:篠森ゆりこ)

続けてイーユン・リー。第1回フランク・オコナー国際短篇賞受賞ほか数々の賞を受賞したデビュー作。日本では楊逸(ヤン・イー)が直木賞を獲って話題になったが、私には楊逸よりもイーユン・リーの方が面白かった。

以下は読んだ時の感想。



著者のイーユン・リーは1972年、北京生まれ。そのリーが英語で書いて2005年にアメリカで出版されたのが本書である。本書は第1回フランク・オコナー国際短篇賞受賞他数々の賞に輝いている(ちなみに第2回のフランク・オコナー賞受賞者が村上春樹である)。

英語で小説を書くアジア系の作家の活躍はもはや一つの大きな潮流になりつつある。インドのジュンパ・ラヒリしかり、タイのラッタウット・ラープチャルーンサップしかり。きっとこれからも続々と登場してくることだろう。

本書には表題作を含めて10の短編が収録されている。北京大学を卒業後渡米し、アイオワ大学で学んだ著者の体験を踏まえたと思われる作品が多いが、小学生の男の子に恋をすることになる林(リン)ばあさんを描いた「あまりもの」や代々宦官を宮廷に送り続けてきた町の物語である「不滅」など、体験だけにとどまらないバラエティも備えている。

そんな中で私が一番好きな作品は、ミス・カサブランカと呼ばれる独身教師とその玉子売りの母の物語。邦題は「市場の約束」であるが、原題は「Love in the Marketplace」である。主人公の三三(サンサン)には結婚を約束した土(トウ)という男性がいたのだが、この土は旻(ミン)という三三の友人と結婚してしまい今はアメリカにいる。実はこの結婚は旻をアメリカに行かせるための策略としてのものだったのだが(しかるのちに土は旻と離婚して中国に戻ってくるはずだった)、土は三三との約束を破りそのまま旻とアメリカで暮らし続けてしまったのだ。その土が10年経った今頃になって旻と離婚して中国に帰ってくるという。三三の母親は土のことを許して土と一緒になるべきだと三三を諭す。しかし、三三には三三の「まもるべき約束」がある。今さら土と結婚など出来ない。そんな折り、市場にある男がやってくる。この男こそ「約束とは何かを知っている人」だったのだ。

ラストはやや唐突な感もあるが実に鮮烈だ。最後の2行には思わず息を呑んだ。イーユン・リーには、一本筋の通った信念があることがこの作品から如実に伺われる。

ジュンパ・ラヒリやラッタウット・ラープチャルーンサップに比べると、イーユン・リーの作品には自身が生まれ育った中国という国への感情(正・負いずれも)が色濃く現れている。次回作は文化大革命後の中国を舞台にした作品だそうなので、きっと祖国を正面から見据えた作品になるのだろう。(2007/8/15)



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